Steve Jobsのプレゼンが、いつも凄いと思うのは、とにかく計算されていることだと思う。私のプレゼン授業の教本は、Jobsのプレゼン。Apple社が強いのは、Jobsの存在にあると思う。
Steve JobsをYou Tubeで覗く…。
http://jp.youtube.com/watch?v=ScJMBhgb790
夏休み前に、数冊の新書を求めながら、山積みになっていた新書を整理する。
□iPhone衝撃のビジネスモデル 岡嶋裕史著 光文社新書
以前、視覚障害児のための入力デバイスに、キーボード端末と音声読み上げソフトを使って、コンピュータ操作指導にあたった時、当時、合成音声の悪さに悩まされたこと。それでも、子どもたちは、自分がパソコンに入力している実感を感じて、喜んでくれたこと。自分の気持ちが、言葉になって表れることの喜びが、こんなに素敵なことなんだなぁと、あの時から、私の特別支援教育への想いが膨らんでいるのではないかと、振りかえる。
当時、一心にコンピュータに向かったAさんは、今、大学に進学して、福祉を学んでいること…嬉しい便り。
「情報機器が、利用者にとって、何が親切か、問い直す時期が来ている…」この新書にある冒頭の問題提起は、PCが登場した時からのテーマだったと思う。
操作体系(ユーザインターフェース)と操作体験(ユーザエクスペリエンス)の課題は、発達障害児たちを見つめながら、いつも考えてきたこと。例えば、キーボード入力端末が、タイプライターからの移行にあり、QWERTYキーの配列は、日本語では、何の意味も成さないこと。発達障害児にとっては、まず、そこが大きな難関で、キーボードにあるキー配列と、日本語を結びつけることから学ばなければいけない大きな課題は、言葉を学ぶことから、発達障害児達を遠ざけたと思う。
一方、たくさん出回る学習ソフトは、マウスのクリック操作で展開させる。学習障害のある子どもたちにとって、感覚器官で受容した情報を、脳で処理し、運動機能として、処理させることのストレスは、どれほどのものだろう。そのストレスを少しでも減少させるために、指導者たちは、手を添える。マウスを一緒に持つ手は、いつの間にか、指導者がコンピュータを操作していることだった…。
子どもたちが自ら、コンピュータを操作すること…
ジョブスのプレゼンを観ながら、タッチパネルの操作性にある自由度を、子どもたちにも、体感させてあげたいと、やっぱり、思う。
Web2.0の本質が、技術にあるのではないこと、いつでも、どこでも、だれでものユビキタスは、それ以前に、セキュリティの高い、保障されたインフラの整備が、必要であること。
教育は、何を求めていくのか、しっかりその真理を見つめていないと、どんどん進化する技術だけに流される…。
もう、人の営みの前を、技術が進んでいることは、止められないんだなと感じながら、その情報技術の中にあって、私たちは、チョイスしていく能力が必要になっていくんだろう。
ただ、技術が全能でないことを、何よりも自覚していけば、私たちが見つめるものは、人間の本質に他ならないことも、分かってくる。
教育は、やはり、そこに向き合うことなのだろうと、子どもたち、一人一人にあるものに、私は、しっかり見つめていこうと思いながら、…日本の障害観、子どもたちの学びに求められるものは、量的なのか、質的なのか、きっと、まだまだぶつかるものがあること。
本当に、できるのかなと、学べば学ぶほど、不安になる…。