10月に入りましたが、私自身は授業研究や、学校行事等々で、一杯一杯の日々で、論文制作のまとめまでは、ほど遠いなぁと…。
追い上げの時期にもかかわらず、私は、今、フィンランド教育に、のめり込んでいます。
研究テーマの「中学校における学校Webサイト調査とCMS活用」では、学校Webサイト上でのコンテンツに関しての調査研究を進めていく過程で、そこには、学習環境デザインの重要性を感じていきました。学習環境デザインを考察するには、学習観や、学力観の追求が必要です。そこでは、同時に、学校が、取り組んでいる読解力の向上をテーマにした教育研究の中からも、学習観、学力観を考えていました。
学校が取り組む読解力の向上のテーマを追求していくには、OECDのPISA調査にある学力観を、検証していく必要もありました。そこで、注目したのがPISA調査で好成績をおさめたフィンランド教育でした。
更に、突き進めていくと、そこには、新しい学習活動論が存在していることがわかりました。
それが、今私がはまりこんでいるユーリア・エンゲストロームの「拡張による学習理論」です。PISA調査で、なぜ、フィンランドがよい評価を得られたか。それは、まさしく、エンゲストロームたちによる教育プロジェクトが1990年代から、行われていたからでした。
このOECDのPISA調査の学力観は、さらにエンゲストロームらが掲げる学習活動理論にある学力観であることもわかりました。今、まさに、教育界は、この学習活動理論に流れていくだろうことを予見しています。科学的問題解決能力、コンピテンシーの追求こそ、これからの教育に求められていくことです。
私が今取り組んでいることは、エンゲストロームの論文検証です。これがまた、とても難解で…エンゲストロームの著書「拡張による学習」だけでも難解なのですが…。
ただ、この学習活動理論には、非常に重要な要素があります。それは、人間の学習活動を、人間の生涯にわたる学習活動のプロセスの中で、学校、労働、科学、芸術といったシステムで検証し、更に統合して、理論づけが図られているところ、そして、生涯教育の中で、人間がどのように学習活動をしていくかの理論は、垂直的に水平的に、マトリックスに展開していくこと。学習活動の中の相互的作用に曖昧さを残しながら、この理論そのものが、拡張的な要素をもっていること。
これらは、私が日頃、情報を捉える視点としてもっているConnected Identityに同化していると感じています。
私自身も、教育研究のパラダイムの中で、もがきながらも、現在に至っていますが、このエンゲストロームの新たな学習理論には、学校教育の領域を超え、人間の生涯教育活動に踏み込んだ教育研究で、その拡がりに、私は今、すっかり嵌っております。Connected Identityを想像させるこの理論は、学校教育に限らない生涯教育の中で捉えているので、当然、企業の教育観にも通じるモノです。
今、私が読み込んでいる論文は、まさしく企業教育に関して論じられており、新しい学習活動のプロセスを、次のように表象しています。
Craft→Mass Production→Process Enhancement→Mass Customization→Co Configuration
ここにある新しいキーワード、例えば、Massは、マスコミの「マス」のような群れとか集団という意味ではなく、「拡張」という意味です。Co Cofigurationの新生語のCo-は、Co-educationや、Co-operationのように「共に、相互に」などの意味をもちます。この学習過程は、個による拡張の学習活動を、相互作用の中で構成させることで、集団の学習活動が拡張(拡散、拡大)することを意味しています。
更に、歴史的学習(学びの変遷)Historical forms of workでは、次のように展開されます。
Tacit knowledge→Articulated knowledge→Practical knowledge→Architectural knowledge→Dialogical configuration knowledge
暗黙知→明瞭知→実践知→構造知→対話的構成知
少し、無理矢理ですが、ほぼ妥当な英訳だと思います。参考にして下さい。
以下のサイトでもう少し、企業教育へのエッセンスがわかりやすく、明示されています。 http://www.interfield.org/seminar/0201.html
私は、エンゲストロームたちのいう新しい「学力」とは、人間の内的矛盾によるところの葛藤から芽生える拡がる探求心だと捉えています。
子どもたちのそうした探求心、拡がる学びを、教師たちは、どう導き出すか、更に、教師自身も一緒に拡がるかというところが、これからの教師に、求めてられていくところなのでしょう。
そして教師自身も、自らの教科研究の中で、切磋琢磨するその経験やその拡がりから学び、そのことが、子どもたちへの教育活動にフィードバックしていくことが、重要なのだろうと感じています。
学校教育における様々な学習理論は、実際は、企業教育が先行されたものが多いことを感じています。学校教育はそれだけ、立ち後れているのでしょうか。
学校経営者である校長先生たちも、企業経営の方略や、経済指標に敏感に、柔軟に、更に先見性を持って、攻略できること、その経営力をどう磨くかが注目されています。その中で、学校現場には、実に素晴らしい学校経営を実践している管理職もいます。そうした学校経営者は、教育理念の中にしっかりとした経営理念を持ち得ていることも、私自身、感じています。エンゲストロームの理論から、教育と経営は同じモノと理解できます。人が学びを追求することは、つまり、コンピテンシーを求めることは、教育でも、企業経営でも同じ事なのです。
そして、今度の新しい安倍政府が求めている教育再生は、そこなのだろうと感じているところです。