11年の歳月を超えて、教え子の成長ぶりをネット上で、見守る先生。
教え子の話をして下さった先生の魅力は、こうした歳月を超えても、しっかり子どもたちを見守る心にあるんだろうな。生徒たちと、先生のかつての関わりに、タイムスリップしながら、先生にある魅力が、羨ましく思う。子どもたちが普段、すごいなぁと思うことは、どんなに立派なことを言っても、自分たちに向かってくれているかどうか、その眼は、実に、鋭いこと…。真摯に子どもたちを想う先生を、子どもたちの素直な心は、知っていたんだろうなと思う。
「いつか、先生を超えられるように…」
そう豪語した破天荒な教え子が歩む軌跡や行動の中に、しっかり、その子のもつ才能を信じ、温かく見守れる先生…そして、教え子は、それに答えるかのように活躍する…そんな教え子と先生が眩しい。
…先生にある教育観に、私自身も、いつも、揺さぶられてきた。
教職員係の同僚の話を思い出す。
「教員になる新採の先生方の、教員志望動機を読むと、ほとんどに、先生になりたいと思わせた恩師がいるんだよね。」
今日の5年生の「将来の職業調べ」の授業。
子どもたちが書く、なりたい職業に、「先生」の文字を見るとき、嬉しくない担任は、いないだろう。
ただ、今日は、先生に、なりたい理由に「授業計画を自由に変えられるから。」という発言には、笑った。担任が「そんなに自由ではありませんよ。」生の声。
子どもたちの描く将来の職業に、私たちも、子どもたちの将来像への希望に思いを馳せる。
「教員」という職業にある責任や信念は、聖職であるというようなきれいなものでは決してないこと。怒濤のように流れる日々の中にあって、子どもたちと直に向き合い、ぶつかり合う格闘技のような部分もあること。
その中にあって、生身の人間だからこそ、子どもも、教員も、たくさんお互いに、成長しあえることへの感謝の気持ち…。
…先生の話は、いつもたくさんのことを、省察させられる。
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「お昼休みは、おしゃべりにいらっしゃい。」教育相談室の先生の優しさに、甘えながら、また、ご指導を頂く。
先生は、区内10校を担当し、さらに毎土・日曜日は、「コンパニオンシップ」と呼ばれる発達課題の子どもたちと一緒に戸外へ出かける活動をされてこられ、ほとんど、休んでいらっしゃらないとのこと。
「子どもたちにかかるいろいろな投資は、私自身、子どもたちへの授業料だと思っているんですよ。子どもたちには、たくさんのことを教えてもらっていますからね。」
さりげなく仰る先生の姿勢に、先生が多くの相談者を抱える人気の所以を見たような気がする。
教育現場にある子どもたちに向かうときの、私たちの時間軸は、システムでは、決して、縛られるものではないこと。
行政の多くの人に、わかってほしいと願う。
そして、教育に関わる誰もが見つめる先に、子どもたちがいること…教育システムの構成の基準は、そこにこそあると、私は思う。