ひきこもりの社会学
井出草平著 世界思想社(2007)
ひきこもりの原因はどこにあるのだろうか。そんな疑問から手にとった書籍だったが、そこに起因しているのは、パーソナルにある「規範的」という性質だった。
本書では、「不登校」「ひきこもり」「ニート」の定義付けを、いくつかの文献から、整理している。
また、高卒以前のひきこもりと、大学でのひきこもりの事例紹介から、その様相の違いには、時期ではなく、「拘束性」の違いだとする、筆者の見解から、「学校」にある拘束性を考える。
本書が取り上げているエドウィン・M・レマートの逸脱論から、ひきこもりを考えると、
高卒以前では、「不登校」「学業不振」「イジメ」からの第一次逸脱は、そこから脱するため、学校ではない、適応指導教室だったり、別の所属に通うことや、成績が少しぐらい悪くても、スポーツで頑張る、成績が悪いけど、気にしない、イジメ集団から離れるという第二次逸脱の行動をとる。
しかし、そこに、本人にある「規範的」という性質が加わると、学校は行かなければいけないところである、成績は優秀でなければいけない、イジメ集団から離れられないといった、逃げ場のない状態になる。そして、ひきこもりをおこす。(これを「拘束型」と分類する。)
大学では、高校までの学校生活にある、「規範的」な行動形式にある拘束とは反対に、開放的な生活である。その拘束のない生活になじめず、本人にある「規範的」という性質が、課題やコミュニケーション機会が制度的に保証されず、開放的な環境で、今まで通りに「規範的」にふるまえず、逃げ場のない状態になる。そして、ひきこもりをおこす。(これを「開放型」と分類する。)
この「規範的」性質は、「拘束型」「開放型」も、第二次逸脱として、ひきこもりをおこす。
本書を読みながら、「規範的」性質を形成してきた家庭、学校にある「規範」、さらには、組織にある「規範」、この規範意識の形成が教育目標でもある教育の中で、子どもたちの心の葛藤に、どう向き合えばいいのだろうと、学校教育を考えていた。
ひきこもりには、その背景に「規範」への心の葛藤が存在すること。そこでは、認知行動療法的アプローチも有効だろう。
ただ、何よりも、ひきこもりにさせない、不登校への兆候の察知と、支援体制が必要なのだろう。教育現場が抱える課題は尽きないこと。子どもたちだけでなく、学校も支える体制が重要なのだろう。
参考:「不登校生徒を対象にした適応指導教室におけるCMSを活用した支援の提案」
加藤尚吾ほか(早稲田大学) 2008.3.1 教育工学会研究会
***浅田匡教授の講義「生徒指導・進路指導特論~第4回不登校を考える」は、近日まとめる。